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東日本大震災から10年を経過して

2021年3月11日

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東日本大震災から10年経過を振返る

 2021年3月11日で、東日本大震災の発生から10年が経過しました。

 復興庁によりますと、避難者は当初の47万人から4.2万人に減少しました。一方、同庁によりますと仮設住宅入居数は約2,000人まで減少しました。(2020年12月現在)

 また、被災者のための恒久的な住まいとして整備が進められてきた災害公営住宅は、岩手、宮城、福島の3県で、計画戸数約3万戸が2020年12月に全て完成しました。

 福島県の復興・再生として、帰還困難区域を除くほとんどの地域で避難指示が解除されました。
 避難指示解除区域では、帰還に向けた生活環境の整備を推進しています。帰還困難区域では、「特定復興再生拠点」の整備、官民合同チームによる自立支援「福島イノベーション・コースト構想」の推進、環境再生に向けた取組を推進しているところです。「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」に基づき、風評被害対策の推進がなされております。

崩落した斜面の養生の様子

町の再生と心の復興

 思えばこの10年間の歩みは平坦ではありませんでした。様々な苦境からの再出発の道のりでもありました。
 破壊された港、曲がりうねる道路、壊滅的な被害を受けた沿岸部などなど、どのようにして明日を信じればよいのか、苦境・苦難との戦いでもありました。

 しかし人間の力は偉大でした。
 復旧から復興に向けて、着実に歩みを進めていったのです。港、道路、建築物、まちそのものを見事に再生し、まさに本物の「心の復興」を支えるに至ったわけですが、そのバトンを市民に渡すことになりました。

 思い返すとこの10年は復旧から復興に当たって建設業のあるべき姿を世に示したこととなったように感じてなりません。

ショベルカーによる掘り起こし

弊社の最近の実績

 弊社がここ最近で受賞しました実績は下記の通りとなりますが、感謝に堪えません。

  1. 令和元年度校庭土壌改良工事が、いわき市立高久小学校より「感謝状」授与
  2. 「福島県営復興公営住宅磐崎団地(いわきCLT復興公営住宅)」が、「T-1グランプリ2018」を授与
  3. 東京電力(株)いわき寮及び社宅の修繕及び配管、除草・剪定工事等において感謝状を授与
  4. 先の令和元年台風19号被害に関して国土交通省東北地方整備局、福島県いわき建設事務所及び小名浜港湾建設事務所より感謝状

国土交通省東北地方

大規模災害と建築業

 地震や津波、洪水、土砂崩れといった大規模災害が発生すると、多くの死傷者が出ると共に、道路や電気・ガス・水道等の各種インフラが寸断及び多くの建物にも甚大な被害が発生します。
 街が被ったダメージから復興するためには、建設業の力が必要とされ、災害現場では、大量の土砂・倒壊した建物の瓦礫が道路を寸断等して、消防・自衛隊等の救助車両が現場に辿り着くことすら難しいという事態も起こります。

 救助現場においても、土砂や樹木、大きな瓦礫などを建設業者が保有する専門の重機を使って撤去しないと捜索を進められないということもあり、災害発生直後から建設業には大きな役割が期待されています。
 災害復旧現場で途方に暮れる前で、必死に復興作業にあたる建設業者の作業員の姿が、復興に向けた大きな力を与えているのも紛れもない事実です。

 弊社社員一同も、市民たちからの期待や感謝を受けて働くことで、自分の仕事に誇りを持って従事してまいります。

崩落した斜面の養生の様子

2021年3月11日

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