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50年の軌跡(その1) クイ木調達から起業

2014年7月9日

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 平成3年に発行した弊社の会社案内『50年のあゆみ』から4回に分けて掲載します。

 昭和16年、いわき市平下高久に開業した山木屋材木店が、現在の山木工業の前身である。太平洋戦争が開戦した歴史的な年でもあった。

 米穀商の長男に生まれた志賀季三郎(しがすいさぶろう:現代表取締役・志賀耕三郎の祖父)は農業に従事する傍ら旧下高久の区長を務めていた。その区長の仕事の一つに海岸の防風林への対応があった。砂浜の風除けにする柵を作るクイ木の調達に苦心し、山を買って直営でクイ木を切り出すことになった。このことが、材木店を開業するきっかけとなり、昭和16年に製材工場を持つことになる。この年から数えて、平成3年が50年目にあたる。

 創業者・季三郎はこの直後から政治家の道を歩み始めるため学校を出たばかりの息子・久太郎が実質的には家業を切り盛りすることになる。

 材木店を開いた直後に軍用材供出に対応するため県内の製材工場が統廃合されることになり、福島県木材株式会社=県木社=が創設され、全体の4割の数に製材工場がまとめられた。当時ちっぽけな町工場だった山木屋材木店が、「地の利」を得て、県木社の第16工場として生き残ることになった。県木社は戦後解散する。

 店主季三郎は昭和17年から高久村の村会議員(後に議長)を務めていた。木材業の副業として民間の住宅や学校建築も手がけることがあった。昭和23年の6・3・3制移行に伴う新制中学校の誕生に合わせて隣接する豊間中学校なども施工した。

2014年7月9日

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